インタビュー
孤独に打ち勝たなければ長く海外にはいれない。
川本啓一氏
2020年10月20日 568ページビュー 6年以上 中国
・海外勤務は自らの希望であったか?
強く希望していた。入社当時から中国が大好きだった。大学時代も少林寺拳法部に所属していた。現在は希望してもテストと面接により派遣が決まるが当時は日本と中国の政治的関係が悪く、あまり人気ではなかったため希望するとすんなりと配属が決まった。
・海外勤務が決まって、準備したこと、不安だったことは?
給与の受領方法、銀行口座の開設、就労査証これら日本とは異なるのか不安だった。一から現地の事を調べた。当時一度も海外旅行には行ったことがなくて中国語も話せない状態だった。配属が4ヵ月後に決まって社内の語学研修で勉強はしていたがあまり話せない状態で中国に向かった。しかしなぜか北京での生活についてあまり心配はなかった。
・海外滞在中に大変だったこと、苦労したことは?
語学
中国語があまりできなかったためほぼなんでも体当たりの状態、電子辞書を常に持ち歩き看板などに書いてある言葉をどのように発音するのだろうと常に考えていた。難しい発音の単語は一日中練習していた。中国語は英語と違って発音が少しでも違うと意味が伝わらないし、また中国の人は聞いてもくれない。
行政手続き
当初、現地の駐在員は、全部自分自身の行政手続きを一人でやらなくてはならなかった。中国は日本のように行政手続きを全て区役所などで行うのではなく、それぞれ異なる機関で行う必要があります。また、今のように、スマホもない時代で、情報が簡単に入手できる時代ではなかったため、毎年遠い場所を行き来していた。中国日本商工会議所で特に税務、海外送金、雇用に関するセミナーには積極的に参加したりもした。
冠婚葬祭
親類、友人の冠婚葬祭には参加しづらかった。祖父母4人とも、北京駐在中に逝去したり、妹弟も駐在中に結婚するなどしたりしたが、式全般にあまり出席できなかった。年に1回だけ会社の負担で帰国できたが、私はそれを含み年に1,2回位しか帰れなかった。
日中関係の政治的緊張
私の駐在期間に長安街で大規模なデモ行進が行なわれた。身の危険はなかったが、旅行会社は平和産業なので政治的緊張が起こるとすぐにツアー催行に影響がでてしまうので非常に苦労した経験があります。
通信
当時はまだSNSなど通信が発達しておらず通信費用が物凄く高かった。日本にいる家族に連絡するのもいまは簡単だが当時は大変だった。
家族
私は幸いなかったが、家族が現地で馴染めず、仕事より、家族対応のほうが大変という人も少なからずいるようです。
・海外滞在中に不思議に思ったことは?
今では中国人はお金持ちが多いというイメージが定着したが、当時の日本の報道と現地の情報の格差には驚いた。例えば庶民の経済格差の問題をよく指摘する報道がよくあるが、少なくとも、私の身の周りの中国人は皆裕福だった。
・海外滞在中に良いなと感じたことは?
収入面
海外で働くと所得税、住民税、住居費を会社が負担してくれたためその分収入が増えた。
人脈
日本では上の役職になるか出向でもしないと競合他社と交流する機会はなかなかないが海外では、むしろ競合他社の方々が同志であるかのような連帯感が生まれます。
意思決定が早い
日本とは企業文化が異なり、日本ではお伺い書などで時間がかかることも中国ではイエス、ノーが早い。
・初めて海外勤務、留学等で長期滞在する人にこれだけはしておけというアドバイスは?
歯に不安があるなら完治して赴任すること、またコンタクトも1年分くらいまとめ買いしておいた方が良い。それは向こうで保険が効かないからです。
年齢にもよるが親孝行をしておく。向こうでなにが起きるかわからないからです。
家族の不安をといてあげる。現地の学校、コミュニティ、ショッピングなどいかに住みやすいか事前によく調べておくこと
強い精神を持つこと、海外では、恥ずかしい思いをいっぱいするでしょう。その度にへこたれていては心も体ももたないと思います。
インタビュー実施日:2019/07/19
インタビューアーからのコメント
今回インタビューを行って、びっくりし物凄く参考になったことは、リアルな海外での生活についてでした。海外は当たり前だけど気づかなかった日本との手続きの違いなど今回聞かなければ聞くことなど考えられなかったことです。
また、印象に残ったのは海外で孤独になることはあるのだということです。そして、その孤独に打ち勝たなければ長く海外にはいれないとのことです。今回海外の長期滞在について経験者の方からお話を聞けたのはとてもためになりました。また留学について新しい見方ができるようになったと思います。
インタビューアー:相良直輝(経済学部 経済学科 1学年)