インタビュー
みんなをハッピーにするお手伝い
K氏
2017年2月6日 453ページビュー 2年以上 アメリカ合衆国 大学 高校インタビュー日時と場所:6月1日19時、Kさんが働いている塾
日本から海外に留学し、帰国子女入試で日本の大学を受験する学生の受験勉強のサポートをしているKさんに、Kさん自身の留学経験について伺いました。
<留学先、期間、理由>
Kさんは、高校生の時と大学生の時にアメリカに留学しました。
高校3年生の時はミズーリ州の高校に1年間。大学2年生の時は、オレゴン州の大学に1年間通っていました。理由は、英語が話せたらかっこいいなと思ったからだそうです。高校3年生の時は、英語がほぼわからない状態だったと言います。そのため、学校では宿題が出ていることもわからなかったと言っていました。ただ、ホストファミリーとはとても仲が良くよく、初めは恥ずかしがり屋さんでしたが、途中からたくさん話すようになったらしいです。
また、大学2年生の時は、寮生活をしていたため、楽しかったと言っていました。また、同じ階に日本語に興味がある子が多かったり、授業はグループワークが多かったりしたため、友達が作りやすかったと言っていました。
<留学中に起きたことで次に繋がったこと>
Kさんは、留学中に留学先で日本語の授業を教えている先生と出会ったことにより、「日本語も外国語になる」ということに気付きました。そのため、Kさんは海外で日本語を教えたいと思い、大学卒業後は日本語教育学の専門の大学院に通いました。ここでは、日本語を教えることよりも、日本語を中心に、もうすでに二ヶ国語以上の言語を話せる人たちがそれらの言語をいつ、どうして、どういうときにそれらの言語を使い分けているかということや、特定の文脈ではどちらの言語が話しやすいかなどについて研究していました。例えば、外国に住んでいる日本人の場合は、親と話すときは日本語を使うが、兄弟とは現地の言語を使う。どうして?などということだったと言っていました。
<現在の仕事の理由>
Kさんは、日本語教育学の専門の大学院に行って日本語教育を学んだが、現在は、日本から海外に留学し、帰国子女入試で日本の大学を受験する学生の受験勉強のサポートのお仕事をしている。その理由は、大学院で研究したテーマが、教室でどう教えようとかではなくて、「言葉を話せる人がどうなっていくか」だったため、日本語である必要がなくなったからだと言っていました。そして、日本語+もう一つの言語を習得している帰国生は今までKさんが興味を持っていた分野に関係があるため現在の仕事を選んだらしいです。
<未来へのアクッション>
Kさんの未来へのアクションは、「みんなをハッピーにするお手伝い」です。
なぜなら、日本語教育を学ぼうと思ったきっかけは、外国人が日本語を話せるようになると、その人たちと日本人の間にコミュニケーションが生まれるからだと言っていました。通訳とかの仕事もありますが、これらの場合は自分が彼らとずっと一緒にいなくてはならないため、日本語の先生になって外国人に日本語を教えることにより、日本語を身につけた彼らが自分の力で日本人と直接コネクションを作っていけると思ったと言っていました。
これは、英語も同じで、英語ができればたくさんの国籍の友達を作ることができたり国境を越えたビジネスもしたりすることができます。そのため、そうやってみんなが仲良くなっていけば、みんなハッピーになれるし、ビジネスでも国境を越えて取引することにより、利益を得ることができたり、新たな価値観を感じることができたりするだろうからと言っていました。
インタビュー実施日:2016/06/01
インタビューアーからのコメント
印象に残ったキーワード:
・ 日本語も外国語になる
・ 外国人が日本語を話せるようになると、その人たちと日本人の間にコミュニケーションが生まれるから
・ 日本語を身につけた彼らが自分の力で日本人と直接コネクションを作っていける
お話を聞いて学んだこと。今の自分とつなげて思うこと。:
私が、Kさんの話を聞いて学んだことは、どの国の言語でも、人々がある言語を話せるようになると、その言語を話す人たちと直接コミュニケーションをとることができるようになるということです。言語は多国籍の人たちと繋がるためのただのツールだけでなく、彼らの特徴や個性、そして性格などを知るきっかけになると思いました。そのため、留学をすると、これらを通じて自分の視野を広げつつ、たくさんの価値観を得ることができるようになると思えるようになりました。また、Kさんがアメリカに行って日本語も外国語になるということに気づいたように、私も留学を通じて日本を今までとは違う角度から見ることができ、新しいことに気付けるのではないかと思いました。
インタビューアー:金野樹里(東洋大学1年), 五十嵐晴菜(東洋大学1年)