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インタビュー

「みんなの声が集まり、地域を変えるメディアを」 寺島英弥さんの留学体験

寺島 英弥氏

2016年1月16日  718ページビュー
6カ月以上   アメリカ合衆国   大学  

インタビューゲスト 河北新報社 編集局編集委員 寺島英弥さん

アメリカ・ノースカロライナ州・デューク大学への留学を経て、現在は震災関連の記事に携わる寺島さんに、留学前から留学中の出来事、現在やこれからの活動についてお話を伺いました。

なぜ留学しようと思ったのですか

全米の地方紙が地域にどう関わっているかを知りたかったからです。私は長年、東北の課題や地域の問題を取り上げる長期の連載記事に携わっていました。多様な問題を抱えるアメリカの地方紙の同僚たちがそれらにどう取り組み、どんな成果が出ているのかを知りたいと思ったのです。留学の実現は、相田三郎さんという先輩記者の後押しのおかげです。相田さんは英語が堪能で、デューク大学への留学や、日米の地方紙交流事業への参加の経験もある先駆者でした。社会人になってからの留学というものは、それぞれ現在抱えている仕事もあり簡単にできるものではありません。しかし、「ためらわずにトライしろ。必ず人生のプラスになる」という相田さんの言葉に背中を押され、フルブライト奨学制度のジャーナリズムコースの試験を受けました。身近な経験者の存在は大きいです。

留学中、印象に残る出来事はありましたか

デューク大学は日本人留学生がほとんどおらず、現地に暮らし始めてからしばらくは、言葉と異文化の壁、孤立感に悩み、日々の問題解決に追われました。また、厳しい暑さが続く南部の気候にもまいってしまい、ストレスで髪の毛が抜けてしまうほどでした。目指した地方紙の調査にも着手できず、焦りを募らせました。そんな中、ICSというキリスト教系の学生サークルのリーダーで、留学生の支援をしているスコット・ホーキングスさんにキャンパスで出会ったのです。私が日本の新聞記者であることを知っていて、その時言われたのが“Keep journal.”。「日々のことを記録するのが君の役目だ、それを思い出せ」との激励でした。この言葉ではっと我に返り、危機を乗り切ることができました。今でもこの言葉を大切にしています。

そこからはアメリカ各地の地方紙を訪ねて調査し、著名なジャーナリストたちを囲む機会が大学でもあり、それを1つ1つ英文のレポートにまとめていきました。最後にはA4のレポート用紙で74枚程の量になっていました。帰国後に、職場の同僚たちにアメリカで発見したものを日本でも取り入れるべきだと主張しましたが、なかなか受け入れられませんでした。新聞は日本のメディアでは伝統ある「100年産業」です。読者の高齢化、インターネットの普及、販売部数や広告の伸び悩みなどに危機感を持ちながらも「変化」への戸惑いもありました。言葉で伝えるのは難しいと考え、レポートを日本語の本にまとめようと決意し、2004年から夜なべ続きの執筆を始めました。この作業を9か月間続け、2005年5月に著書「シビックジャーナリズムの挑戦 コミュニティとつながる米国の地方紙」(日本評論社)を出版しました。

留学後、何が変化しましたか

取材の仕方が変わりました。「シビックジャーナリズム」というのは、「ニュースは当事者から始まる」、そして「ナラティブ(当事者が語る事実)に耳を傾ける」ことが原点と考えます。地域の当事者の語る事実から問題は何かを考え、それを調査し、声を外のさまざまな場につなぎ、支援や問題解決につないでいく。私流に「つながるジャーナリズム」と和訳しています。問題を抱える当事者の声の発信を手助けするのが記者や新聞の1番の役目だと考えています。

では、以前はどのような取材をされていたのですか

いい記事の条件というのは、まず「特ダネ」を書いて、同業他社を出し抜けることでした。それが最大の勲章とされていたため、いち早く警察や役所、企業の幹部、政治家といったネタ元に食い込むというのが取材のスタートでした。しかし、そういった情報は、高い場所から問題を見るという目線になりがちです。役所の記者クラブにいると、どうしても役所の中で見つけたニュースを書いて完結するのが当たり前の習慣になりがちです。身をもって問題を知る現場の当事者の声が遠くなってしまいます。記者は、どこに立つべきなのか、という問いを忘れてしまうこともあります。

留学で得たことを現在の活動にどう生かしていますか

2011年以降はずっと東日本大震災と福島第1原発事故の取材をしています。そのため被災地を回っています。家族が自殺した遺族の方々、自死遺族が抱える問題などにも関わっています。震災取材では、被災地の当事者の問題は何か、現地で日々起きていることは何かを常に考えています。私の福島県相馬市出身で、福島第1原発事故のため、故郷の相馬地方が丸ごと被災地になり、同胞たちはいまも苦闘しています。例えば、安倍晋三首相はしばしば「被災地の復興を加速します。そのためには日本経済を良くしなければいけません。」と説きますが、明日を描けない被災地の人々とのギャップは広がるばかりです。現地での問題は何だ、現実はどうなのだ、というところから、復興を阻んでいるものは何かを問い、当事者の声を政治の側にぶつけていくのです。それが、被災地の地元記者の仕事です。

最後に、留学後に得た寺島さんの人生観を教えてください

私の留学のきっかけもそうですが、何か始めるにあたってカギとなるのは人と人との出会いや縁だと思っています。これが私の人生観です。新しい人生の扉があったら開けてみましょう。必ずどこか新しい場所に繋がっています。

インタビュー実施日:2015/12/09

インタビューアーからのコメント

留学に関わる話から展開して、新聞の業界での現状とジャーナリズムはどうあるべきかなど興味深い話まで伺うことができました。現場で仕事を続ける方のお話を聞くことができるのは非常に貴重だったと考えています。留学で学んだことをその後の仕事で生かすというのは継続的な努力が必要だと思いました。寺島さんの「新しい人生の扉があったら開けてみましょう」という言葉を聞いて、今の自分の状況を見てすぐ「無理だ」と諦めず、新しいことにチャレンジしてみようと思っています。インタビューを終えた今でもこの言葉はずっと印象に残っています。

インタビューアー:昆 和
留学は自分の人生観、キャリア観が大きく変わる貴重な経験です。
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