インタビュー
多様性を常に見つめる
2015年5月16日 168ページビュー多様性を常に見つめよう
ーそもそも留学しようと思ったきっかけは?
高3の時に自分の行きたい分野を選ばなきゃいけないですよね?「たった17年の人生でそんなこと決められるか!!」って思って悩んでいました。でも、当時、進学に関する月刊情報誌を読んでいたのです。
ある月の付録で留学特集をやっていて「海外の大学でもいいのだ!」って思ったのと、中学生の時に青少年赤十字(JRC)の活動に参加して面白かったことを思い出し、福祉を専攻として学びたいと思いました。その情報誌の中に「福祉を学ぶならアメリカがよい」と書かれていたので、これだと思いました。
—留学中に学んだことについて詳しく聞かせてください。
アメリカでYouth and Human Servicesを専攻しました。青少年赤十字やガールスカウトなど、10代の子どもたちへの福祉について学ぶ学部でした。アメリカは大学同士で単位互換ができ、転校する学生も多かったのですが、青少年福祉についての学部を開設しているところがアメリカでも15大学ぐらいしかなかったので私は4年間そこで通して勉強しました。当時ボスニアで紛争が起こっていて国際協力に興味を持ちました。国際協力についてもう少し勉強したいなと思い、日本に帰国せずアメリカに残り1年間働くことにしました。
ついた仕事は大学生の学生寮の寮母でした。夜中に女の子同士の取っ組み合いの喧嘩の仲裁をするなど大変でした。食事と宿付きで給料も貰えたので、楽しかったし助かりました。
国際協力についてもっと学びたいと思い、NGOが運営している実践的な学習をモットーとした大学に入りました。そこでは、異文化経営学を専門にしていました。多国籍の、異なるバックグラウンドを持つ人がいる環境で、いかに円滑にプロジェクトを進めていくかなどを学んでいました。その大学には本当に多くの国から留学生が来ていて100カ国語以上の言語が使われていました。
—留学中で一番印象に残ったことはなんですか?
同じ授業にいたカンボジア出身の留学生に出会ったことです。当時38歳ぐらいの男性でクラスのムードメーカーでした。ある日、たまたま2人きりで図書館で勉強していた時、突然暗い顔になり「僕は戦争孤児なんだ。」って言ったんです。彼はカンボジアの戦争で両親を殺され、難民キャンプの孤児院で育ったことを話してくれました。私はなんて声をかければよいの分からず、勉強会は解散になりました。
その夜、彼からある一文だけが書かれたメールが届きました。「戦争を知らない日本人のあなたにあんな話するんじゃなかった」と。私の心にその言葉がグサグサと突き刺さりました。「友達と思っていた彼のことをこんなにも自分は知らないのに国際協力なんかできるわけがない」と思い知らされた瞬間でした。
そこから3日後考えに考えて彼に「自分は何も知らなかったけど、今からでもカンボジアで出来ることをしたい」と伝えました。そしたら彼は「孤児の僕が留学出来たのは難民キャンプに図書館があったからなんだ。」と言って、もし良かったらその団体でインターンシップしてみなよと勧めてくれました。それが今働いているシャンティでした。
—今留学に興味を持っている人にメッセージをください!
意外と気づかないだけで、自分の足元に問題だったり興味を持てることが転がってたりします。よく『チャンスの神様は前髪しかない』と言います。どんな些細なことでもいいので自分の興味のある事にはどんどんチャレンジしてください。そして、異なった文化、宗教、国籍の人々がいてそれぞれ異なった考え方を持っています。その事を否定するのではなく、受け止め理解できる人になってください。
インタビューアーからのコメント
私の学科も幅広い分野を学べる反面、どの分野を掘り下げ職業にしていきたいのかを突き詰めていかなければならない学科でもあります。だからこそ、世界を見て足元を見つめなおせるような体験をしたいと思いました。
インタビューアー:中島 有紀