特別インタビュー
一期一会の出会いが形作る留学
ラピッヅワイド代表取締役 広瀬容子氏
ラピッヅワイド代表取締役 広瀬容子さん
2003年に子ども4人を連れて、アメリカのピッツバーグ大学大学院の情報科学科に留学。
留学中は、ピッツバーグ大学東アジア図書館日本情報センターでレファレンスライブラリアンとして働きながら、修士号を取得。
留学後はトムソンロイターに就職し、2015年にはラピッヅワイドを設立。
みなさんは、「留学」と聞いてどんなイメージを持ちますか。
語力が伸びそう、世界中に友達ができそう、今までの自分と変われるきっかけをくれるかもしれない…。
そんなポジティブなイメージを抱く人が多い反面、「就職大変そう、お金がかかる、自分の語学力じゃ到底無理そう…」など留学に対して自ら壁を作ってしまっている人もたくさんいます。
そんなみなさんへ4人の子どもを連れてアメリカ留学をした広瀬さんから一言。
「まだ20代前半。この先人生はもっと長いのに、留学できない理由ばかりに目を向けて、諦めてしまうのはもったいない‼」
こう語る広瀬さんが考える留学の意義とは一体なんなのでしょうか。
留学を考え始めたきっかけは夫との死別
中学の頃から英語が好きで、学生時代には教会の活動で外国を訪れたり、色々な国の人と交流したりなど、元々海外に興味があった広瀬さん。「いつか海外で暮らしてみたい」そんな思いを抱きつつも現実は子ども4人を抱えて夫婦共働きの生活。
そんな日常を過ごしていた広瀬さんが、三十代半ばで夫の死に直面した。
これから子ども4人を1人で育てていかないといけない、今後の生活はどうするのか…。不安が募る中で、当時仲が良かった韓国人の友達に勧められたのが「海外に行くこと」だった。
「夫の死をきっかけに、まとまったお金をいただいたんです。当時の私はまだ30代。そんな大金を見てどうしよう…って思ったんですよね。そこで頭に思い浮かんだのが私費留学だったんです。」
「当時、私の知人友人の何人かが旦那さんの付帯家族として海外に行っていたんです。だからいつか自分も海外に行けたらなぁって漠然と思っていました。海外との行き来の多い韓国人の友人や、海外で仕事をしている大学の学科の先輩達、そういう人たちの断片的な情報もあって留学を考えるようになりました。」
夫との死別に子ども4人を抱えた生活…。広瀬さん自身、「留学できない理由」はたくさんあった。しかし、自身の好奇心に突き動かされて留学を決意。一体どのような留学経験をしたのだろうか。
今後のキャリアを見据えて選んだアメリカ留学
一口に留学といっても語学留学、学部留学、ワーキングホリデー、インターンなど形態は様々。数ある中で広瀬さんが選んだのは、「修士留学」。行先はアメリカのピッツバーグ大学だった。
「留学を決めた当時は、36歳くらいだったんです。その年になると、仕事上のキャリアを造らなければという思いがあったので、語学留学は全く頭になかったんです。たぶん、英語を話せるようになることだけが目的なら、英会話学校に通ってプライベートレッスンを受ける方がよっぽどお金はかからずに済むんですよね。私の場合は自分がこれまでに積んできたキャリアと関わりがあって、次のステップにつながるようなものにしたかった。だから修士留学を選んだんです。」
広瀬さんのように、社会人になってからの留学では純粋に海外で暮らしたいという思いだけでなく、今後のキャリアとの関わりも考えなければならない。一方、学生の場合は今後の将来もやりたいこともまだ未定…。そんな学生時代だからこそ、何にも縛られずに「自由に」留学先で自分の興味のあることを追求できるのかもしれない。
「学生のうちに留学するのと、社会人になってから留学するのとでは全然違う。今は昔と違って大学の留学プログラムもすごく充実してますしね。学生のうちに留学できるチャンスがあるなら、絶対行っておいた方がいいですよ。」
社会人と学生との大きな違いを感じたこの一言。実際に、社会人留学を経験した広瀬さんだからこそ、心に響いた言葉だった。
留学で身につけるべきコミュニケーション能力
2年間の修士留学を終えて、広瀬さんはアメリカの外資系の会社に就職。勤務地は日本だったが、海外の同僚や上司とのやりとりは全て英語。そんな環境で気づいたのは、「ビジネスにおいて英語力の有無は大きな問題ではない」ということだった。
「アメリカから日本に帰ってきて、外資系の会社に就職してみて思ったのが大事なのは英語力の有無よりコミュニケーション力っていうことだったんです。実際に仕事をしていると、英語力はあるのにコミュニケーションがうまくとれなくて周りの評価が低い人とか、逆に英語はそんなに流暢ではないのにすごく仕事ができる人もいたんですよね。」
確かに、多くの人が感じているように英語力は留学を通して得られる重要なスキルなのかもしれない。でも、英語力だけじゃない。むしろ異なる文化を持つ人々と関わることによって培われるコミュニケーション能力の方がよっぽど大事なのだ。
自分の冒険心に従い、50手前で決意した起業
留学後、外資系の企業で働き始めて10年。大学をマーケットに情報サービスの営業をしていた広瀬さんは、だんだん「自分の強みが生かせなくなった」ことに違和感を抱き始める。
様々な人に転職の相談をするうち、組織に属するのではなく独立して仕事をしていく選択肢を考えはじめた。自分の持ち味と強みを生かした仕事を自由にデザインしてみたい、そんな思いに突き動かされてまずは「プラットフォーム」としての会社を作った。
自分のやりたいこと・好きなことをいくつになっても追及し続ける広瀬さんはこう語る。
「40歳手前で留学した時も、新しいことをしようっていう冒険心で行動したんです。起業を決意した時も同様で。失敗したらどうしようとか、お金なくなっちゃったらどうしようとか、悩みの種は無数にでてくるんです。でも、そこで考えすぎないからこそ、新しいことにチャレンジできたのかなって思うんです。本当に、会社を作ったらどんな感じなんだろうっていう好奇心で起業した面が大きかったんですよね。」
留学で一番大切なのは人とのつながり
広瀬さんが、留学において最も大切だと感じたもの。それは英語力でもコミュニケーション能力でもなくて、「人とのつながり」だった。
「私が留学を考え始めたのも、ピッツバーグを留学先として選んだのも、全て人と人とのつながりがきっかけだったんですよね。いろんな人に留学の相談をしているうちに、働きながら学位をとれる大学院を勧めていただいて無事留学することができたんです。」
実際、留学中はネットを通じて留学経験のある人にコンタクトをとり、たくさんのアドバイスをもらった。さらに自分の研究分野の雑誌の記事を読み、執筆者に手紙も送ったこともある。
「留学すると、日本人と絶対に話さないみたいに気負ってしまう人が多いんですよ。でも、そんな気負いは不要だと思うんです。だって、仲間がたくさんいた方が支え合えるじゃないですか。留学を考えている人も、これから留学する人も、一期一会の出会いを大切にしていってほしいなって思います。」
「とにかく気になった人には積極的に話しを聞いてみる。」どんな時でもこの姿勢を大切にしていたからこそ、「社会人留学」という難関を乗り越えられたのかもしれない。
インタビュー実施日:2016/04/14
【編集後記】
1人で全く知らない国へ訪れる留学は、まさに孤独との闘い。仲のいい友達も家族も誰もいない。日本人でさえほとんどいない。
そんな不安もたくさんある中で、留学を応援してくれる人・困った時にアドバイスをくれる人・一緒に切磋琢磨できる仲間がいる、留学先でそんな環境をつくれるかどうかは、「人とのつながり」を大事にするか否かという自分次第なのかもしれません。
文責:萩原遥(明治大学)
インタビュー:
萩原遥(明治大学)
瀬沼慶太(明治大学)