留学のすすめ.jp

Invitation to Study Abroad

Disseminating the Impact of Study Abroad
Inter-generational Knowledge Transfer

インタビュー

自分の軸を持つ

菊地 晋一氏

2016年8月31日  59ページビュー
アメリカ合衆国   大学院(修士)  

【インタビューゲスト】 菊地 晋一 さん(国立大学法人 九州工業大学 教授)
2001年9月~2003年5月まで、米国フィラデルフィアにあるペンシルベニア大学教育大学院(Graduate School of Education, University of Pennsylvania)の修士課程に留学し、異文化コミュニケーションを専攻、現在は九州工業大学で教授をなさっている菊地晋一さんに、留学に至った経緯と留学時の体験、留学後のご自身の変化についてお話を伺いました。
 
①社会人を経て留学に至った経緯を教えてください。また、私たちは今、学校で早いうちの留学を勧められているのですが、学生のうちに留学に行くことに関してはどうお考えですか?
神戸製鋼という大手鉄鋼メーカーに10年勤務し、そのほとんどを海外業務(うち2年はシンガポール現法に駐在)に従事しました。最後の2年ほどは人事部で大学生の採用担当になり、海外出張もなく、土曜日に日本語学校に通学し、日本語教師になるための養成講座を受講、「日本語教育能力検定試験」という当時文部科学大臣認定の試験に合格しました。日本語教育の分野に転向することを考えましたが、既に結婚していたこともあり、低賃金かつ雇用が不安定な日本語教師にそのままなることはできなかったので、思い切って大学院に進んで、新たなキャリアを開拓することを考えました。当時、既に日本語教育もコミュニケーション重視の教授法が主流になっていたことと、もともと興味もあったので、異文化コミュニケーションのある大学で、かつ非言語よりも言語に重きを置いた異文化コミュニケーションのコースのあるペンシルベニア大学を希望しました。
留学は時間的にも費用的にもかなりの投資になりますので、目的をきちんともってからでないと危険だと思います。私は36歳で家族持ちではありましたが、キャリア転換という一大決心の手段として留学を決めましたので、前に進むことしか考えておりませんでした。人それぞれに「時」というものがあると思いますが、私の場合は、36歳という年齢がベストのタイミングだったのだと今は思います。36歳にして、17歳、18歳、20代の学生たちから学んだことは少なくありません。もちろん、若い時に明確な目的が見据えられれば一番いいと思います。目的があれば、やはり若いときに経験すべきだと思います。
学位取得とは別に、短期間の海外経験としての「短期留学」は、将来長期の学位取得のことを考えるうえでも有効だと思います。なるべく若いうちに短期でもいいので、海外に出てみる。そのために、何を勉強するかは明確でなくても、留学のために必要なことを勉強する(英語が一番わかりやすいかもしれません)、それは大変貴重で有効な経験になります。そして、できれば一人で出るほうがいいかと思います。友達や大学のプログラムでグループで渡航するのは、安全上は望ましいですが、自力で障害を乗り越えるという一番貴重な経験がしにくくなります。また、たとえ短期留学でも、何の準備もせずにでるのは、あまり意味がないように思います。できることはできる限りやったうえで、出かけてほしいです。海外留学ではなく海外旅行でも、できれば、できるだけ自分で何から何までやってみる、それが大事だと思います。昔と違い、泊まるホテルの部屋まで事前にネットで見ることができる時代ですので、調べられることは調べてみるべきだと思います。そのうえでもなお、実際に現地に行かないと体験できないことが山ほどありますので、それを思う存分堪能すべきだと思います。
 
②文化の違う国に行ってそこで生活することは大変だったと思いますが、異文化を理解する際に重要なことは何だと思いますか?
留学から異文化コミュニケーションのことは興味があったので、いろいろと本を読んでおり、頭ではそれなりの準備ができていたとは思いますが、やはり実際に生活の中で理解できないこと、理解してもらえないことは多々ありました。ただ、アメリカ生活と大学院での学びの中で、私たちが異文化と言っているものは、相手にとってはごく当たり前の常識、習慣であり、当たり前のことを必要以上にびっくりしたり、異質なものと決めつけたりするのは、ある意味愚かなことと知りました。知らないことに遭遇した際に、「素直に驚くも、動じない」、自分が感じていることを、まさに目の前の相手も私に対して感じているのだと思うと、違うことを楽しむ余裕も多少は出てきました。
 
③留学先で何を得ることができましたか?また、留学によって生まれた価値観の違いや何かご自身の中で変わったことはありますか?
大学院の授業で「Cross-Cultural Awareness」という社会差別を扱った授業が何よりも強烈な印象としていまだに忘れられません。
大学院1年目の春学期の授業(1月スタート)でしたが、それに先立って、2泊3日の合宿があり、そのために自分の生い立ちをまとめたプリントを教授も含め全員が用意して、授業に参加する全員の生い立ちを読み込んだうえで参加しました。差別という、社会的動物である人間が誰でも加害者、被害者の両方を行っていることにフォーカスを当て数ヶ月進めていく授業なので、思ったこと、感じたことを隠さずに伝えられる関係を作るのが合宿の目的です。最初のアイスブレーキングから、怒鳴りあいや泣き声が飛び交うすさまじいものでした。また、学部生も、西海岸の銀行の頭取の娘ながら肥満体質で悩む女の子、両親ともに医者でフィラデルフィア郊外の高級住宅地で何不自由なく生活しながらもユダヤ教徒で白い目で見られるとこぼす女子学生、父親は弁護士ながら現在は刑務所に入っているメリーランド州から来た女子学生、カリフォルニア出身の奨学金学生でいくつもの有名大学から合格をもらった優秀な学生ながら、父親はビルの清掃人という労働者階級出身の白人男子学生、ニューヨークのブロンクスという地域で生まれ育ち、毎日銃声を聞いて育ちながらも、優秀だったために、白人の裕福な家庭の里子になり、アイビーリーグのペンシルベニア大学に入学してきた黒人男子学生、ボスニア・ヘルツェゴビナの内戦で難民としてイタリアに逃れ、その後アメリカに移住してきた女子学生、台湾で生まれカリフォルニアに移住した比較的裕福な家庭ながらアジア移民としていろいろいやな思いをしてきたという女子
学生など私などが足元にも及ばない人生経験の持ち主たちばかりでした。教授も労働者階級でシングルマザーながらペンシルベニア大学で博士号を取った黒人、TA は白人女性の優秀な博士課程の両性愛者、もう一人の講師は中西部ミシガン州の厳格なカトリック家庭に育ちながらも自分は長い間レズビアンとして葛藤し、大学ではLGBT というレズビアンソサエティの代表としてカミングアウトした女性…こういう面々での授業でした。この授業を取ったことは、私にとって、まさに「目から鱗」の経験でした。こういう授業があること自体、日本では考えられません。ペンシルベニア大学では毎週だか毎月、ユダヤ人によるホロコーストを語る集会が大学内の教室でありましたし、前述のLGBT のような同性愛者の団体も堂々と存在します。2001年の9.11があって、ロースクールの翌年の合格者からイスラム系の学生が激減したというので、それが大学側の操作によるものかどうか、ということが騒がれたりしました。司法当局から学生の個人情報の提供が求められたのに対して、ペンシルベニア大学は拒絶したという話もありました。アメリカという民族・宗教の多様性に最高の価値を置くことを一応表立って標榜している国として、日々異文化に関する社会的葛藤を経験している、その生々しい姿こそ、私のその後の人生に大きな一石を投じたのは間違いないと思います。その後、日本の大学で国際化の仕事をするようになり、常に念頭に置いていることは、多様性を求めることで、いろいろ厄介なことは起きますが、それを乗り越えたところにこそ、次元の高いハーモニーが経験できるのだと信じていますし、国がどこであれ、大学が「ユニバーサルな」場所であるためには、構成員の多様性の追求が
不可欠だという確信につながっています。今の仕事をするようになって、海外のいろいろな大学に行く機会がありますが、テキサス大学エルパソ校の工学部に掲げられたDiversity creates innovation」というモットーは、まさに座右の銘として心に刻んでいます。もちろん、アメリカは多様性と排他性が常に葛藤している国と思いますので、アメリカが完成形では全くありませんが、その難しいテーマを降ろそうとしないアメリカはある意味模範になる点を少なからず有していると思います。
 
④グローバル化によるメリットやデメリットはたくさんあると思います。菊地さんは“グローバル化”についてどうお考えですか?
地球規模で貧富の差が大きくなり、より豊かな場所に移動し始め、技術がそれを容易にしてグローバル化に拍車がかかっているように思います。
グローバル化の流れが止まったり、後退したりすることはもはや考えられないとすれば、今まで先進国の武器でしかなかった科学技術や経済論理を、途上国のより多くの人も手にすることができ、優秀な人間は先進国も途上国も関係なく登用されるチャンスが増えたグローバル化は必ずしも悪くはないと思います。社会差別で学んだことの一つは、「差別されている者が一番簡単に差別から逃れる方法は、差別する側に回ること」でした。悲しくも極めて現実的なサバイバルの方法ですが、グローバル化の結果が単なる勝ち組と負け組、そしてその固定化と再生産に向かわないように、私たちは正しくグローバル化を進めていく必要があると思います。そのためにも、どんどん海外に出ていき、いろいろな考え方、ルール、利害関係を学ぶことが必要です。
 
⑤”グローバル化“、”国際化“するには、具体的にどのようなことが必要だとお考えですか?
何をもってグローバル化したか、国際化したか、やはり「比較」がなくては意味がありません。比較するための自分の軸を持つ必要があると思います。それは学ぶ中で軸の場所が移ることもあるでしょうが、軸がなくては話になりません。私たちにとっての軸はやはり日本人としての価値観、習慣、社会常識などであり、私たちがどこからきてどこに行こうとしているのか、過去の歴史や日本の地理、身近な地域の風物、年上、年長者への敬意など足元を踏み固めておくように努めるべきだと思います。日本のよいものを継承していけるのは、まず第一に私たちは日本で生まれ育った者ですし、それは単に日本社会のためだけではなく、日本の良いものを世界にも紹介していくことがこれからの地球市民にとってはとても大切なことだと思います。身近な話題が瞬時にして海外に伝わること、ある地域の課題はかなりの可能性を持って必ずどこか他の国でも課題であったりすること、そういう情報を共有して問題解決しやすくなったのはグローバル化の良い面ですし、その利点は最大限活用していくべきだと思います。

インタビューアーからのコメント

社会人を経てから留学をなさった菊地さんのお話は、学生の留学の形態とはまた違っていて、非常に興味深かったです。明確な夢や目標がなくとも、とりあえず海外に出てみる。そうして自らを非連続的な毎日に置き、様々な体験をしてみる、ということが大切だとわかりました。留学をする際には、日本人としての“軸”を持ち、異文化を“異文化”として避けることなく、しっかりと向き合って適応していけたらいいなと思いました。

インタビューアー:松崎彩香 (東北大学 文学部 人文社会学科 1年)